ヘルムホルツの考えによればここに考えたような可能性が実存するかどうかは天文学者の手によって検査することができるはずである。しかもこの考えは実際上恒星の観測とは符号し難いのである。しかしこのような検査は初めから不必要であろうと思われる。地球上でその表面に沿って光線の屈曲するのは、温度分布の関係から視線の上と下とで空気の密度と屈折率の差違のあるために生ずる現象であるが、光を運ぶエーテルの場合にはその密度や屈折率が光の放射方向に対していかなる向きにでも、少しでも不同を示すであろうと考えさせるような確証は一つも考えられないのである。それで、空間中で視線が徐々に曲るであろうという仮定は全く不自然なものである。従って、この考えは前世紀の中ごろしばらくの間は非常な注目をひいたけれどもその後は全く捨てられてしまった。ことにこの考えは科学的見地から見て新しいものを生み出すという生産能力が欠けていたからである。これに関して興味をもつ人はデンマーク人クローマン(Kroman)、米人スタロ(Stallo)並びに有名な仏国数学者ポアンカレ(Poincar※(アキュートアクセント付きE小文字))の著書を見ればこの問題に関する総括的批判的の研究を見い出すであろう。ここではただこの古い考えの筋道だけを述べるに止めておく。
恒星の数が無限であるかどうかということも昔から論争の種であった。アナキシマンドロス、デモクリトス、スウェデンボルク及びカントはこれが無限であると考えた。しかしもし恒星がほぼ一様に空間中に分布されており、そうして我々の太陽付近に甚だしく集中しているのではないとしたらどうであるか、その場合には満天が恒星と同じ光輝で、多分太陽よりも強い光輝で照らされ、そうして地球上のすべてのものは焼き尽されてしまうであろう。我々の観測する諸恒星の温度は一般に太陽より高いのであるが、すべての天体の平均温度がそうであったとしたら、かくなる外はないのである。しかるに実際は地球が焼き尽くされないで済んでいるのはなぜか。この理由は二通りだけ考えられる。まず、恒星は我々の太陽の付近だけに集中していて、空間の彼方に遠ざかるほどまれになっているのかも知れない。不思議なことには、大概の天文学者はこの甚だ非哲学的な考えに傾いているように見える。しかしこの考えは輻射圧というものの存在が認められてからはもはや支持されなくなった。それは、たとえすべての太陽恒星がかつて一度はある一点、たとえば銀河の中心の付近に集中していたとしても無限な時の経過のうちにはこの圧力のために無際限の空間に撒き散らされてしまったはずだからである。
それでこの第一の理由がいけないとすればもう一つの仮定による外はない。すなわち、輻射線を発している諸恒星に比べて非常に低温度で、またばく大な広がりをもった暗黒な天体が多数に空間内に存在すると考える。すなわち、寒冷な星雲である。これは外から来る輻射熱を吸収して膨張し、そうして冷却するという奇妙な性質をもっている。膨張する際に最大の速度をもっているようなガス分子は弾き出され、その代りにこの星雲内部のもっと密集した部分からのガス質量が入れ代わる。このようにして外方へ流出するガスは付近にある恒星の上に集められ、エネルギーはだんだん多くこの流出ガスに集積され、同時にエントロピーは減少するというのである([#「(」は底本では「。(」]『宇宙の成立』一七五頁参照)。
それでもはや無限空間中における恒星の数は無限であると考えるより外に道はないことになる。ところが、暗黒体に遮られ隠されているもの以外のすべての星を我々が現在知っているかと言うと決してそうではない。光学器械の能力が増すに従って次第に常に新しい宇宙空間が新しい恒星の大群を率いて我々の眼前に見参してくる。もっともこれらの恒星の増加は器械の能力で征服される空間の増加と同じ率にはならないでそれよりも著しく少ない割合で増してゆく。これは多分、少なくも一部は、暗黒体の掩蔽作用によるかも知れない。